ぷらっと下北

「NPO法人ぷらっと下北」
未来を担う子ども達が誇りをもって力強く生きていくために、むつ市で地域づくり活動に取組んでいます。代表の神直文さんと、監事の長岡俊成さんにお話を伺いました。

 

 

-NPO法人ぷらっと下北を立ち上げたきっかけについてお伺いしたいと思います。-

(神さん)当時、国土交通省の半島振興室では、毎年「半島地域づくり会議」を開催していました。全国には23の半島が指定されていて、一同に会して地域づくりについて情報を交換するという会議です。私が下北地域県民局で県職員をしていた2009年度に、下北半島で、その会議を開催したいという話を頂戴しました。そこで私から、当時下北地域で頑張っている人、役所関係、商工団体やNPO関係の方々に「冬、全国から100人ぐらい集まって下北半島にお金を落としてくれるかもしれないから、なんか一緒に手伝ってくれませんか。」ということで声がけをしました。
そうしたら結構反応が良くて手伝ってもいいかな、という感じになり半島地域づくり会議の開催スタッフに入ってくれました。
半島地域づくり会議は2月に2日間の日程で情報交換会とエクスカーション(体験型の見学ツアー)の内容により開催しました。県内外から多くの人が来て、隣の北海道渡島半島の方とか、初めて会ったという感じではなく、本当に盛り上がりました。

会議はとりあえず成功したのですが、ただこれで終わりじゃまずいな、という雰囲気になってきました。その後、コアメンバーで、下北の若者や子ども達に対して、頑張っている姿を見せることや地元を応援する活動ができるのではという話になり、とりあえず任意団体でやっていこうになりました。「ぷらっと」の名称は、誰でも「ぷらっと」立ち寄れる場所がいいんじゃないかということで、「ぷらっと下北」という名前になりました。

その翌年から、助成金や補助金などを活用して、首都圏で下北のPRや青森県と組んで教育旅行の誘致活動をしてきました。こうした活動を通して団体に信頼性を持たせるには法人格を取った方がいいかな、ということで2011年NPO法人として設立しました。当時から、専従職員は作らず、みんなが協力できる範囲で活動しましょう、という緩い感じで、今に至っています。

 

 

 

-そうすると立ち上げの時、神さんは県職員ですよね。県職員の立場で地域づくりに関わるっていうのはどんな感じだったでしょうね。今だったら、公務員も副業が認められてきて、むしろ地域に参加しましょうという風潮になってきていますけれど。当時だったら、ちょっと県の異端児的な感じに思われたりしませんでしたか。-

(神さん)下北に来る前は県の企画部門におり、行政と民間のパートナーシップ事業という仕事をしていたので、個人的には全く違和感が無かったです。ただ、こうした地域づくりのような活動に関しては、職員のなかには引っかかりを持つ人が周囲にいたのですが、自分さえちゃんと仕事と活動の仕分けできて、普段から情報共有のようなことが出来れば大したことはないな、と思っていました。
あとは、結果として私は下北に2年しかいなかったのですが、部署異動(転勤)した時に「今までのお付き合いはなんだった?」ということを言われるのが嫌だったものですから、団体や活動できる場所があれば大手を振って下北に来られるなっていうのはありましたね。
ちなみに、「ぷらっと下北」を作った時の代表は大間の島康子さん、その後私が引き継ぎました。会の皆さんには、「(私は)津軽弁だけどもいいのか?下北に住んでないけどいいのか?」という話をしました。特に設立後に加わった人達は「え?神さんって津軽の人だよな」に成りかねないので、そこはきちんと話をして、現在代表になっています。

-県の職員さんは2〜3年で転勤されて、下北にもいろんな方が来ていますよね。いいところだったねって終わっちゃうところを、神さんは法人を立ち上げるところで関わって、現在まで繋がりをお持ちだということですね。
NPO法人ぷらっと下北さんはどういった活動されているか教えてください。-

(神さん)先ほど言った青森県の下北と東京の下北沢をつなげよう、という事業ですね。下北沢にある高校に行って、「教育旅行をやってみませんか」とかほぼ飛び込みに近いような状態でやっていました。その後、大きな活動になったのは、2011年の東日本大震災です。特に福島の子ども達が被災し原発事故の関係とか色々あって、福島県の子ども達を受け入れましょうと。

(長岡さん)2011年の7月25日から27日まで「教育旅行誘致調査14歳の挑戦」という県の委託事業がありまして、私はそこから関わりました。
それまでのぷらっと下北は、どちらかと言えば観光振興、観光客のおもてなしといった事業をやっていたんですが、この事業を機に、特に14歳って多感な年齢なので、子ども達に下北に来てもらって、いろんな自然に触れて、自然体験とか生活体験をさせるという内容で、それが対象を変えながら今までずっと続いてきているのかな、と思っております。
今インタビューをお受けしているこの部屋で、子ども達に目隠しをして下北の食材を使った食事を食べてもらうっていう「暗闇ご飯」という取り組みやったので、会場を管理している者として、私はそこから参加したというか、巻き込まれたのです。

教育旅行の誘致調査っていうことで、子ども達に夏とか冬に色々体験してもらっていたのですけれども、東日本大震災が発災して、福島の子ども達が気兼ねなく自然の中で遊べないというお話を聞いてはいました。そういった中で、下北地域県民局の方から是非福島の子ども達を青森県に呼びたいというお話があって、その時私はまだ事務局ではなかったのですが、参画団体の1つとして下北半島サマーキッズキャンパスに関わりました。そこで下北の事業者さんとか、NPO、任意団体の方々と一緒に協働しながら、親子を招いていろんな体験をしてもらったのですけれども、翌年の2013年に「福島キッズin青森2013」という県の委託事業があって、事務局をぷらっと下北でやってもらえないかっていう話になりました。そういう時にNPO法人格があったということで、先方に安心感があったのかなと思います。「ぷらっと下北です」って言っても、何者だっていう感じがあったと思います。そういった委託事業などを活用しながら、事務局を務めて、都合2年間その事業やりました。

その後、県からの委託期間が切れるというタイミングがあって、それ以降、地元の財団から助成金いただいて、後継事業として、「冒険半島下北キッズ」という取り組みを3年間やりました。
その間、半島地域づくり会議で関わりができた道南の方々、津軽半島の方々と一緒に「ヒバのかまりっこぶがぶが!みんなで大ねっぱろう会」という、名称は島代表(当時)のアイディアなのですが、そういった事業を行うなど、各半島の方々と交流をしながら子ども達に下北の自然生活に触れていただくっていう事業をずっと続けてきました。
でも、福島の子ども達もだんだんと来られなくなってきて、事業を行う意義が薄れてきたねっていうことで、2016年で一回休止しました。そこからちょっと踊り場に入ったというか。我々何をやっていけばいいんだっていうことで、だんだんと当初関わっていたメンバーも異動があったりして抜けていきまして、これが一つの区切りになりました。

ぷらっと下北を設立した時の思いとか目的を考えていって、じゃあ、地元にいる子ども達に対して何かキャリア教育みたいなことができるんじゃないかと。我々の持ち味として、いろんな人と協働してきましたので、結構人を知っている、いろんな職業で頑張っている方々を知っているということで、じゃあ、そういった人的ネットワークをうまく活用して、先生方や学校ができないことを何かやれるのではないか、と。
2018年に大間高校で、地元で働く人とのワークショップを内容としたキャリア教育の授業をやったのですね。2019年になってから、私の地元であるこの大畑地区の大畑中学校で開催をしました。
その後、コロナ禍になって、そういった授業ができなくなりました。2021年度、田名部高校の定時制で、同じ仕組みでキャリア教育を実施する予定だったのですが、直前でコロナの感染状況が思わしくないため、中止になりました。その中で2021年の8月9日から10日にかけて下北は大雨に見舞われまして、被災した下風呂温泉の子ども達と温泉の女将さん達をなんとか応援できないかということで、復興支援動画制作と寄付金を授与しました。
基本的にはずっと子ども達のために何かしてあげたいっていう思いで、いろんな事業を展開してきたと記憶しています。

(神さん)キャリア教育については、その頃自分も役所を退職していたので、いいタイミングでした。どの地方でも人口が減っていくことに関して、ちゃんと向き合っていないのではないかっていう思いがあります。一番重要なことは、働くことや仕事なのですが、今の中学生や高校生は、親と先生以外の仕事をしている人と接する場面ってほとんど無いですよね。そんな背景もあって、下北で生業として営んで働いて、何十年も住んで暮らしている人がいるんだっていうことを、まずは子ども達に知ってもらえないかなっていう思いがありました。
下北のことを知るというよりも、下北でこういう生活をして、こういう仕事しているのだということを知って、その上で自分の人生を考えてもらった方がいいのかなっていうことが基本にあります。
キャリア教育は自主事業で2年間実施しました。2021年度から田名部高校の定時制での開催を予定していたのですけど(コロナ禍で)ちょっとできないような状態になりました。ただ、先生もぜひタイミングを見てやりたいということなので、2022年度またチャレチャレンジしていこうと思っています。

下風呂温泉支援は、コロナ禍後、自治体の応援キャンペーンなどで結構人が来ていたのですが、災害があってパターっと来なくなりました。我々もいろんな事業で下風呂温泉にお世話になったという経緯もあったので、支援するのだったらお金でやろうかっていう話になりました。そこで下北弁youtuberの村中さんという方と連携して復興支援動画を作りました。お陰様でお金もちょっと集まって、贈呈式をしました。ANPOSさんが仲介してくれた明治製菓さんのお菓子も、そのタイミングで一緒に贈呈しまして、子ども達は大いに喜んでいましたね。

-今このお話はお寺さんで伺っているんですけど、ここは長岡さんのお務めされているお寺です。長岡さんは大畑の出身ですか?-

(長岡さん)そうですね。大学から東京に出て戻ってきました。
まあ、あんまりこういうこと言うと住職に怒られるのですが、東京にいた時からやっぱり地域づくり、地域おこしに関わりたいなっていう思いがありました。会社員を6年間やっていたのですけど、その間いろいろとふるさとのことをインターネットで検索していたんですね。そうするとあおぞら組の島康子さんの情報とか写真がいっぱい出てきて、下北で、こういう活動している先輩がいるのを知って。じゃあ地元に戻って何かできるんじゃないかと思って、震災の後にこちらにUターンしてきました。
ただ、戻ってきて全然知り合いもいないし、関わり方が見つけられなかったんですけども、たまたま、ぷらっと下北のみなさんから、大安寺で坐禅をさせたらいいんじゃないか、みたいな話があったのです。じゃあせっかくだから何か変わったプログラムもやれたらっていうので、島さんと私の共通の知り合いだった東京の浅草のお寺さんに来てもらって、大間のサメを使ったメニューとか考えてもらって、あくまで受け入れ先の団体の者として関わったんです。その後、忘年会に呼ばれて、酔っぱらってみんなと盛り上がっているうちに、知らない間に(ぷらっと下北に)入ってた、巻き込まれていました。と言いながらも、声かけてくれて嬉しかったなって思います。

(神さん)当時、バスなどを運行する会社にいた佐藤さんも巻き込まれた1人。半島地域づくり会議でエクスカーションをやりましょうということになり、バスが何台か必要になりました。バス会社にも声かけなきゃいけなくて、たまたま懇談会で隣になった佐藤さんに、「バス会社が儲けるかもしれないから、ちょっと付き合わないか?」って。そこからですね。

-面白いですね。そのタイミングでパズルのピースがピッてはまるみたいな感じで、そこに長岡さんも入っちゃったみたいな。-

(長岡さん)やっぱり子ども達相手の事業が多かったので、子ども達から元気をもらって。成長した姿見ると、やっていてよかったなっていうやりがいは感じました。それにみなさんもほだされたっていうか、結構な期間関わってくれていたんじゃないのかなと思います。

(神さん)自分も息子がゼロ歳の時から娘が高校卒業するまでの約21年間、PTAの役員などをやっていたのですが、やっているうちに、子どもと接すると気持ちが変わってくるんですね。清々としなきゃというか、青臭いというか。それを見て、次にかっこいいことをやればもっと面白くなるんじゃないかなと。

-やりがいというか、子ども達の喜ぶ顔が見たい、そういうところですね。-

(神さん)子ども達が喜ぶと大人も笑顔になるじゃないですか。そういう感じがいいかなと思います。

-一方、しんどい時ってありますよね。組織を続けていくこと自体も難しいですし、やめちゃおうかな、みたいに思うことってありますよね。-

(神さん)現在、それをうちの内部でも話しています。設立してから、みなさん年齢を10年は重ねています。そうなると、次の世代につなぐ術っていうのが課題になります。最近はNPO法人からもう一度任意団体に戻して、ほんと好きなことだけに関わるようにしようかな、とかですね。
NPO法人の多くは1人の人がいて、それに共感してできたという形が結構あると思うので、その人がいなくなっちゃうと、雲散霧消というか、フェイドアウトしていくようなところがあると思います。そこは考えなきゃいけないのですけが、そこは次の世代にどうつなぐかっていうことを考えて進めないと、その人の思い出作りだけになってしまう。そうならないために、形は変わっても、次の世代が共感して同じような活動を続けていってもらえれば、それはそれでいいかなと思っています。

-NPOは法律ができて、もう20年以上経ちますけれど、その頃に立ち上げたNPOは当法人も含め、代替わりや組織の運営の形も、時代時代で変わってきています。ちなみに賃金が出ないと引き止めることができないというのは辛いところですよね。世間では「NPOは自立しないといけない」と言うのですが、結局、お金を稼がないと自立できない部分があります。そうすると、そのNPOは何のために立ち上がったのか、目的とお金を稼ぐ仕事が両立できるのかという悩ましい問題があります。

(神さん)お金の話になってしまうと、お金が目的みたいになっちゃうんですが、そもそもNPO法人って少し違うだろうって思います。お金は大事だし、やっていることも大事だ、っていうことであれば、両立させるために白黒つけるのは難しいと思うのです。そこはちょっとモヤモヤしながら進むしかないんじゃないかなと思いますね。
結局、自分がどうというよりも、この活動を次の世代がどうするのかっていう時に、じゃあ次の世代は株式会社で稼ぎながらやってもいいかなと思ったりもしています。

-そうですよね。その団体の色や地域性もありますから、これが一番っていうのはないですよね。ただやっぱり地域課題解決を目的にNPOを立ち上げる訳なので、地域課題がなくならない限りNPOの活動が必要とされているということですよね。-

(長岡さん)知り合いや後輩を誘うにしても、NPO法人なんだ、会費があって総会があって議事録もいるんだよね、みたいな話をすると、じゃあ面倒臭いから「いいよ(断る)」っていうだろうと。ハードルが高くなっている感じはします。ぷらっと下北については、代表理事っていう形ではなくて、理事の中から代表を互選して選出する。理事が数名いて、正会員、賛助会員、10名ぐらい関わっていているにはいるんですけど、新陳代謝っていうか、なかなか新たに入ってきづらいんですね。下北に転勤などで来た方が入ってくれても、いなくなって辞めてしまう。地元にいるメンバーとしてはすごく取り残された感じがします。

神さんがすごいのは、私が関わり始めた頃にはすでに下北地域県民局におられないのに、会議の度に来られて、なんでこの人はこんなに下北のために一生懸命頑張ってくれているんだろうっていう素朴な疑問がありました。地元のメンバーはどうなのかって言った時には、やっぱり数年経ってくると、当初のモチベーションが下がっていったり、その人の仕事の形態が変わったりして、櫛の歯が欠けるようにだんだんと1人減り2人減り、気づいた時にはほんとにコアのメンバーしかいなかったんですよね。それが「冒険半島下北キッズ」事業が終わったあたりです。かと言って次から入れるとなると、任意団体の良さっていうのがあるんですね。きちんとしなくていいっていうのは、反面、いけないことだとは思うんですけど、その辺の緩さは、NPO法人にはなかなか無いのかなって感じがします。

(神さん)法人格を持ってしまうと、法律上のことが色々出てくるし、全くお金がかからないことでは無いし、稼ぐところは稼がないといけない。篤志家からの寄付があればいいんだけども。個人が「あなたの活動いいからポンとお金を渡しします」っていうのは、なかなか無いな、という感じがしますが、そういう文化を育てていかないと、NPO法人とか社会貢献活動は成立しにくくなっている気がしますね。

(長岡さん)下風呂温泉の応援動画を作ったことで良かったなと思うのは、細かく明細は見ていないですけど、我々の活動に関わってくれたり、応援してくれた人たちが動画を見てくれて、支援してくれているんじゃないかっていうことを感じられたことです。どれだけ多くの人が自分たちの存在意義を認めてくれて、応援してあげようっていう気持ちがあるのか、ということが見えないと、コアで活動しているメンバーのモチベーションがどうしても下がってしまう。専従ではないし給与も発生していない、義務ばかりが多い。半分これ私の愚痴なんですけど(笑)事業報告や、法務局で登記変更するだとか、全然それに対して(報酬を)いただける仕組みも無い。かと言って、非営利法人とはいえ、もっとアクセル踏んで、いろんな事業を行って利益を生み出していこうという雰囲気でもない。アクセル踏めばいいのかブレーキを踏めばいいのか、事務局としてはなかなか難しいところはあったかな、と思います。

-NPOを立ち上げた頃に比べれば、NPOは良いことをしている法人みたいな認識を一般の方も持つようになったと思います。NPOが広く知られてきて良かったなって思うことってありますか。-

(神さん)地域によってちょっと違うのかなと思います。地方にいればいるほど。一般の方は、良いことをしている活動は、NPO法人であっても任意団体でもそんな変わらない印象です。
活動していると、あ、長岡さんがいるところだなとか、誰々さんいるところだなぐらいの認識なんじゃないかなと思います。
特に、NPO法人がとか、会社がとかっていうのはないんじゃないかな。

(長岡さん)下北地域でも、NPO法人の皆さんで連絡協議会とか情報共有の場みたいなものがあれば。おそらくいろんなNPO法人としての成果もあれば、課題もあると思うんですよ。そこの横のネットワークが正直できてない。かと言って、ANPOSさんがやっておられるような事業に、下北地域のそれぞれの法人がこぞって参加して、情報共有するような場面も機会も無いですね。
それぞれで結構しんどい部分とかを相談できないで、自分たちが困ってしまって結局活動が停滞しちゃう感じはあるんですね。

-NPOの横の繋がりっていうのは、もうずっとテーマなんですねよ。NPOのみなさんは、自分たちの団体を維持して事業やるのがいっぱいいっぱいで、他のNPOと連絡を取るために時間やお金を使うことはされていないんですね。
ANPOSは中間支援なので、本当はそういう方たちと繋がりたいと思うんですけれども、それだってやっぱりお金も時間もかかることで、そこは行政のバックアップがあるべきだと私は思うんです。-

(長岡さん)青森県の地域づくりネットワーク推進協議会に、一時期、下北の代表みたいな形で委員をやっていたことがあるんですけど、結局任意団体でも同じ課題なんですよね。もう活動しているメンバーがどんどん高齢化して後が入ってこないとか、NPO法人にしたって同じじゃないですか。
大体そういうのに出てこられる団体って、古株の方々が多いので、特に若年層で組織されている団体なんかほぼ顔を出しませんし、そこになんらかのボトルネックがあるんじゃないのかな。
手段切り口として、SNSをもっと有効活用する。年配の方々が多い団体なんかもチャレンジしていただいて、情報交換をしていく。それぞれで持っている課題を共有して、解決の方向性をみんなで考えていけるような場が作れるんじゃないのかな、仕組みが作れないもんかなとは思うんです。お悩み相談サイト的なやつですね。
正直、私も数年前までぷらっと下北の事務局長をやっていましたけれども、NPO法人ってなんぞやってことすらわからないまま巻き込まれていったような感じがあるので。だから設立する段階で、NPO法人になることによってのメリットもあれば、反面こういうデメリットもあるんだよっていうことを、ちゃんとわかった上で設立をしていくっていうことが、個人的な反省でもあるんですけど、もっと勉強してから関わって事務局を担うべきだったな、という風には思います。

-なんかこの話の流れで神さんにとってNPOとは?という質問、微妙すぎますね。神さんご自身が一般社団法人の代表でもあり、NPO法人の代表を務められて、それぞれの法人格の良さとか、デメリットもあったりするわけですけど、ぷらっと下北に関して、NPO法人であること、NPOとはっていうところをお聞かせください。-

(神さん)私が企画部門にいた2002年「行政と民間とのパートナーシップ事業」を担当していて、NPO法人は、社会に対する思いや手続きで設立できるのだっていうことを少しは理解していました。
ただ、NPOを立ち上げてもほんとにそれやる?継続できるの?っていう感じの法人もあります。当初立ち上げた時って、あれもやります、これもやりますっていう感じで、行政もその団体を活動内容がよくわからない中で、委託とか補助金とか出してきたというのがあるような気がします。その意味では、行政にとってNPO法人は、ちょっと使い勝手がいいような場面があるのではないかというのがあります。
NPO法人も最初はこれやりたいっていうのが、行政が入ることによって、結局お金が発生することで、なんかちょっと信念と違う活動になったりしていると思います。そうすると、その仕事が終わると疲れ切って。
一方で、これやるとお金ちゃんと入るんだとか、そういう風な傾向が少し出てきている部分もあるのかなという気がします。ただ良い悪いということではなくて、モヤモヤしながらやっていかないと。NPO法人がお金稼ぐって、会社とはちょっと違うタイプだと思います。
行政とNPO法人が一緒に色んなことやるにしても、担当者の裁量でできることやできないことがあったりします。そう考えると、お互い我慢をしながらやっていかなきゃいけないんだろうなというのはあります。

-パズルのピースとしてはまってしまった長岡さんにとってのNPO法人っていうのは、どんなものでしょうか。-

(長岡さん)そうですね。やっぱり事務局として色々やっている中で、すごく勉強にはなったなと思うんですよね。持続可能性っていうんですかね。そういったものを真剣に考えて、会を設立して持続させていくためには、このNPO法人の仕組みっていうのは、契機とかきっかけ、機会になるんじゃないのかな、という風に思います。
総会のやり方とか資料の作り方とか、議事録の作り方、また監督官庁への事業報告の仕方であったり、法人登記の仕方であったり、そういったところでは大変ではありましたけれど、個人としては非常に勉強になったな、と。反面、そういった役目を担おうと思う人を呼び込みにくいところが正直ありまして、そういうところが多分、他のNPO法人でも共通の課題になっているんじゃないのかな、と思います。
NPO法人を設立し維持をしていくためには、関わっている人たちの活動の目的だとかコンセプトだとか、そういったところを真剣に考えていかないと、法人格も取得もできない、設立もできないわけですし、NPO法人というのは、ある意味は試される仕組みでもあるのかな。
振り返って、ぷらっと下北の活動を見ていくと、NPO法人格があったからこそできた事業もあったな、という風に思います。
私が関わる前の設立したメンバーの熱量とか思いとか意気込みっていうのは、ほんとにすごいなと、振り返って思います。本当はNPO法人を設立しようっていう前の段階、任意団体とNPO法人の間の中間形態みたいなものがあったりすると、ステップバイステップでNPO法人を目指していこうというような動きも生まれるのかもしれないし、我々が今考えているような、もうちょっと後進が関わりやすいような組織の形態っていうことを考えていく上では、任意団体に戻すということも1つの選択肢だとは思います。けれども、それだと個人的にはちょっともったいないかなと。我々が経験してきたノウハウとか失敗例みたいなものをちゃんと継承していければいいなっていう風には思っています。ちょっとその辺で今モヤモヤ中というところですね。

-神さん、長岡さん、ありがとうございました。今日はたくさんのお話をお聞かせいただきましてありがとうございました。神さん、長岡さんの思いがたくさんの方に伝わり、共に支え合える明るい社会となりますことを願いながら、今日のインタビューを終了させていただきます。どうもありがとうございました。-

聞き手/構成 斉藤 雅美
写真/齋藤 純子

インタビューの様子はYutubeでもお聞きいただけます。

特定非営利活動法人ぷらっと下北
理事長 神 直文
事務局長 佐藤 淳
監事  長岡 俊成
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