農楽郷ここ・カラダ

十和田市で障害者就労継続支援B型事業所「カシスのしずく」を開設し、農業を通じて障害者の就労と自立を支援しています。代表の日野口敏章さんにお話を伺いました。

 

 

 

-NPO法人農楽郷ここ・カラダはどういった活動をされているのでしょうか。-
いわゆる障害を持った方の働き場所、またある意味では居場所になろうかと思います。朝起きて今日1日行く場所が無い人や、受け入れ場所が無くて家で引きこもり的になっている人を少しでも前進させるために、働き場所・居場所を提供しており、農業を主にやっています。農業はお日様の光だったり、土の温もり、水の恩恵だったり、自然の恩恵を受けながらやって行くことが基本的な姿です。精神を病んでいたり、辛いなという気持ちを持った人にはいろんな意味でプラスの効果があると、自分なりに勝手な解釈をしています。自分には何もできないけれど、農業を通じて障害者を支援していきたいということで進めてきました。

 

 

 

 

 

-障害者の方の居場所や働き場所を日野口さんが作ろうと思ったきっかけは何かあったのですか。-
きっかけはね、あまりそのまま言いたくないんだけど、とある方が障害事業をやりたいということで、一時私の施設を貸したことがあるんです。その方のやり方が、障害者を利用しようというイメージだったので、「なぜこういう人がこういう仕事をするんだろう。」と思いました。「あなたが障害者の人と関わるのは間違いだ、やめたほうがいい。」ということをその方に直に言いました。そして「あなたがやるんだったら俺がやる。」ということでその人に反発して始めた、というのが本当のところです。

-障害者を雇用することによっていろんなお金の流れとかあるので、そういう方もいるというのが現実なんでしょうか。-
まぁ現実的な話としてはあるものかもしれないけれど、そりゃ違うだろう、ってね。ただやってみないと分からないこともいっぱいあったし、そういう風に見られないようにしたいなとは思います。

-そういうスタートだったということは、そもそも障害者支援をずっとしてきたということではなかったのですね。-
ない!会社員でしたが、 55歳をもって自分の中での一つの区切りをつけたいということで、54歳と11ヶ月で会社を辞めました。辞める3年前から土地を購入して、そこの古民家を改修して農園カフェ的なことをやりたいと。でも農園カフェをやりたいということではなくて、ブルーベリーを基本的な農業としてやれないかとっていました。そこに地元の保健師さんが「ブルーベリー農園をやるんだったら、精神疾患のある人の働き場所として、収穫とか作業の一環として出来ないかな。」と声掛けされました。そういう人たちの「職親」、里親じゃなくて「職親」という制度を使って畑に来てもらって、というのが精神疾患のある方と関わった初めての経験。
実家は農業だったけれど、ずっと勤めていたので農家としての専門的な知識というのはゼロだったと思います。ただ周りに農家さんが結構いたので、自然に受け入れたというか、農家として基本的なものは持っていたんじゃないかな。

 

 

 

 

-日野口さんと知り合って何年も経ちますが、農業と障害者支援のプロフェッショナルだと思っていました。-
私は、障害はプロフェッショナルになったらまずいと思っています。プロになるっていうことは、障害者の本当の姿を熟知することによって、諦めの部分が強くなってきて事務的になってくる。マンネリ化して、その人たちを新鮮な目で見られなくなったり、どうせ無理だと思ったり。一般就労に移ったり、回復する人もいますけれど、ほんの一握り。実体験が無理な人8割です。精神疾患の統合失調症というとなかなか回復し難い。心理的・医療的な知識をきちんと知っている人だったら、いろんな形で変化させていくことが可能かもしれないけれど、そうでなければ、障害があって当たり前、治らなくて当たり前になり、頑張って治したい、変えていきたいという熱い気持ちは薄くなる。
今のままでどうやって自分の生き方を謳歌していくか、一生懸命生きているという自負を持って、誇りを持って、自信を持って生きていける、それは今のままを受け入れることなんじゃないかな、受け入れろよと。治そうとか人と比べて生きるものじゃないし、現状でいいんじゃない、というところがちょっと長くやってきて感じていることかな。

-日々障害のある方と接し、いろんな楽しいこともあれば思うようにならないこと、残念だったこともあると思います。そういったエピソードをお聞かせいただければと思います。-
残念なことはいっぱいあるな。人である以上いろんな出会いがある、男女の出会いもある。障害があっても知的な遅れがあっても異性に対する情的なものは誰でも持っているから、そういう感情を持たないということは無い。みんな同じなんだよ。そういうところで人権という部分についての微妙な部分、微妙な気持ちがあります。人である以上、人と出会う以上、好む好まざるは別として人に気持ちを寄せることもあるだろうし、現実としてあるから、それをどう整理整頓していくかというところ。人として認めて、人間として受け入れてはいるんだけれど、それはちょっとどうかなというところも多々あったりする。結婚したいと思うことは普通のことなんだけどね、結婚ということはどういうことかと説いてもそれは通じないし、子どもを作ることも含めてそうだけど、そこには様々な複雑な葛藤があります。

-一方、やっていてよかったなと思うことはどんなことですか。-
やっていてよかったと思うことは、結構毎日感じている。どの部分なの?と聞かれるとあれだけれど、元気に来てガヤガヤしているところで、たまに救急車を呼ぶような体調の悪い人もいるんだけど、それでも回復して次の日けろっと出てくるというのもある。関わって良かったなと思うことは日々感じている。

-通所している方はもちろんですけれど、通所している方のご家族にとっても、ここがあって良かったなと思える場所ですよね。-
それは直接「どうですか。」と聞くことはしないですけれどね。利用者が家から出て行って夕方帰って来て、というのが日常で、どこかで人と関わっているということ。自分のことに置き換えてみると、自分の子どもにもし障害があって、家にばかりいたとしたら、あまりいい状態ではない。やはり外でいろんな人に会って、揉まれて、いじられたりとかあって良いことなのです。家にいて囲って守ってやるというよりは、外で揉まれた方がいいな、自分の生活をきちっと確立してくれた方がいいな、多分よその親御さんや兄弟もそういう気持ちで見ているんじゃないかな。

 

-先ほど作業場を見せていただきましたが、土のついた、掘ったばかりのにんにくを乾かしてきれいにしていく過程、出来上がったつやつやしたにんにくが見事で美味しいそうで、みなさんがそれぞれのの持ち場で一生懸命作業している姿が印象的でした。にんにくだけじゃなくて、その他の作業もあるのですか。-
今、にんにく以外でやっているのは企業さんとの連携。一般就労で受け入れは出来ないんだけれども、市内の2箇所の企業さんで働いてもらっている人もいます。十和田市の道の駅の施設管理に行っている人や、バイオマスの発電をしているところには週に4日ほど派遣しています。農楽郷としてはにんにくの他に、カシスもブルーベリーも畑に木がたくさんありますけれども、ほぼ収穫しないまま土に落ちてしまっている。作業時期がにんにくとダブるため、にんにくを優先しています。にんにくは、春6月の下旬に収穫したものが、翌年の4月5月まで1年間作業ができるんです。普通の農業は、りんごは秋に収穫したら冬に出荷して作業が無くなる。米にしても秋に収穫して精米所に出して出荷して終わりということなる。でもにんにくだけは1年間保管しておけるから、1年通じた作業ができる。障害者の事業所として通年で作業を創出できることは強み。我々のような仕事のところでにんにくはベスト。

青森県で障害者の就労施設は200弱ありますけれど、その中で通年作業を持っているところは1〜2割だと思います。あとは全部内職的な作業とか、仕事をもらって、例えば水道メーターの解体だとか、パチンコ台の解体とか、医療器具の部品とか。私もいろんな仕事をしましたけれど、収入収益にはほぼ繋がらない。ということは利用者に対し、ほんの微々たるウン千円しか支払えない。全国の作業所の工賃、月額平均1万4〜5千円、青森県ではそれより下がって約一万三千円。47都道府県で比べると、青森県は全国の40位くらいだと思います。ということは、仕事を作らない、収益事業をしない、居場所的なスタイルの事業所が多いんじゃないのかな、ということです。仕事オンリーで受け入れる事業所があってもいいけれど、仕事はできないけれど、ちょっとお小遣い程度は欲しいような感じの人もたくさんいるわけだから、そういう人を受け入れる事業所があってもいい。私は働く障害者でいたい、僕は働かなくてもなんとなく居場所が欲しい、そういう選択肢があったほうがいいから、いろんな事業所が点在しているほうがいい。障害者が選べばいい。だから工賃だけが全てではないということも確かなんです。

 

-NPO法ができて20年、日野口さん達が団体を立ち上げてから12年、社会におけるNPOや障害福祉に関する理解というのはずいぶん変わってきていると思います。変わってきたな、と思うのはどういうところだと思いますか。-
NPOがどう変わったか、に関してコメントする中身を自分は持っていないんだけれど、障害者の人達の見られ方っていうのはどんどん変わってきているような気はします。昔はそこの家に精神障害者の人がいると、外に出さないで閉じ込めておく、外に出てもらっちゃ困る、そんな人が家にいると分かると困ると、そういう風潮があったと思います。今は、障害があっても、それはそれでみんなが受け入れていこうとしている感じはするんだよ。ただ東京の青山で障害者の施設ができると反対運動が起きたりとかさ、刑務所ができるとその地域の人が反対するというのは、気持ちは分からないわけではないけれども。みんなが共存していける社会になっていかなきゃだめだっていうのは、徐々に浸透しつつあるというところは感じています、少しだけど。

-いろんな組織形態がある中で、なぜNPO法人にしたのでしょうか。-
立ち上げようとした時の状況においては、悪いイメージの人に対抗というか、あんたがやるのは間違いだよ、と啖呵を切る中で、思い立ったのが株式会社じゃなかったんだよな。今思えば株式でも一般社団でもできるし、その時はなぜかNPOだったんだよね。そんなに深い意味は無かったの。

-NPOというのが地域の課題を解決する、何より優先するミッションが、「誰かのためにという思い」ということを考えると、必然的だったのかも知れませんよね。-
NPO法人という名前に対して否定的な考えを持っている人もいるよな。それは偽善者とか、まがい物がやる手だなというふうに、自分自身思っていた頃もあったんだよ。特定非営利活動法人、非営利な活動をするということはいいんだけれど、1〜2割は活動していないのにNPOを名乗っている人もいるらしいから。いいのか悪いのか分からないけれどそれでスタートしちゃった。
周りの人はね、NPOをやっているから全ての施設の重機設備は補助金だろう、と思っているらしいんだな。過去に日本財団、笹川財団から車とか送迎車とか3台もらったこともある。いろんな助成財団を使って農機具等を揃えたこともある。ただそれはほんの小さな金額。大きなものはほとんど自前なのよ。借り入れしてやっているの。分かりやすくいうとトラクター1台一千万します。それ全部自前ですよ。3台あるからトラクターだけで数千万、それでにんにくを売って工賃払っているわけでね、トラクターもハウスも全部借金ですよ。財団からもらっているのは確かにありがたいけれど少額。しかし、よその人はそう見ていないんだよ、全部助成金でやっているんじゃないか、と。俺の借り入れの通帳見せるか!って言いたい(笑)
障害をやっているから利用料というのは国から入って来ますけど、それはここで働いている人の給金などに遣うわけだから、工賃は自前の収益で払っています。工賃については、青森県の平均より2.5倍、3万5〜6千円払っています。工賃については頑張っているなと思います。にんにく様様、にんにく御殿建ちますよ(笑)
今70歳になります。55歳で会社を辞めて15年、自分の中では終活したいのよ。子ども3人いますけれど、子ども達にこの仕事やってもらうつもりは全くないんです。この仕事に対する熱い情熱がある人がいたら、継承したいという気持ちもあります。あとM&Aという形で探しているところもあります。人はどこかで終わりがくる。倒れてから終わりがくるんじゃ困るから、元気なうちにきちんと次の人に繋いでやりたいなと思っている。いわゆる農福連携を本当にやっている事業所は数少ないと思います。一坪農業とか家庭菜園みたいなことをやっている人はいっぱいいるけれど、本格的な農業をやってきちんと収益を得て工賃を払っている事業所はそんなにないと思う。熱い気持ちを持っている方がいたら見学に来てください。ぜひ交渉にのりたいと思っています。

-これまでNPO法人として活動されてきた日野口さんにとってのNPOとはどんなものでしょうか。-
フラフープみたいな輪ですね。みんなで繋ごうという輪です。

-日野口さん、ありがとうございました。今日は日野口さんのたくさんの思いが詰まったお話をお聞かせいただきましてありがとうございました。日野口さんの思いがたくさんの方に伝わり、共に支え合える社会となりますことを願いながら、今日のインタビューを終了させていただきます。ありがとうございました。-

聞き手/構成 斉藤 雅美
写真/齋藤 純子

インタビューの様子はYutubeでもお聞きいただけます。

特定非営利活動法人農楽郷ここ・カラダ
理事長 日野口 敏章
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